くえすの音楽箱 Audiostock出張所

15年前は別のこと書いてたけど、今は自分の楽曲の紹介ページです。

人の価値観の物差し

人と接するときに極力心がけていることっていくつかあるんだけど、そのうちの1つに「自分の物差しだけで人を見ない」というのがある。
たとえば。関東に住んでいる僕が交通費をかけて関西まで行ったとする。細切れの半端な時間ができて関西圏にすんでいる知人に会いたいなと思って声をかけると「今お金ないから行けない」「その場所は遠いから行けない」といわれて断られる。こんなときにどう思うか。

「俺はもっと遠い場所からお金も時間もかけて行った上で会いたいと思ってるのに・・・」と思ってみたりする。するとすごーく自分がいやな奴に思えてくる。相手の真意は分からないが僕はお金や時間を割いて会うだけの価値のない人間なのかな〜とか考えてみたり。だけどそんな自分がいやになる。
自分と相手は価値観が同じではないのだ。自分の物差しだけでものを見てはいけないのだ。それこそ自己中になってしまう。それに気がついたときに自己嫌悪に陥る。
でも、自分が大事に思う、必要と思う相手ならば、自分の物差しも相手に示す必要があると思う。そうしないと知らない間にフラストレーションがたまってしまう可能性があるからだ。別段必要でない相手なら、何もいわずその相手との距離を置くだろう。必要でないと分かったことを収穫と思うしかないわけである。
相手に立場に立って物を考え、しかし自分の考え方も相手に伝え・・・そういう気持ちのつながりあいが、絆につながるんじゃないかなと思う。お互いの物差しが共有物になったとき、確固たる友情や愛情が生まれるんじゃないかな。「あの人はこう考えると思うからこうしよう」とか、お互いに思い合える間柄になれればいいんじゃないかな、と。
こんな考えは、おかしいだろうか??

堅苦しい話を書いてしまったのでもう1つおまけ。